些細なことでクヨクヨしたり(人間関係)、落ち込みやすい自分のことを
とずっと思っていました。(言われてもいたし)
《これまでの思考物語》
いちいち傷つく自分に嫌気がさす
↓
あー!強くなりたい!
↓
どうやっても強くなれない…
↓
もうありのままでいい、HSPだもの byなのを
↓
いや、やっぱり傷つく
↓
傷ついてもメンタルを早めに立て直せばいいんや←イマココ
…という流れで今に至っているのですが、
と思ったら、なんだか急に心が楽になりました。
人間関係の擦れによるあの居心地の悪さ、考えても変わらないこと、襲ってくる謎の罪悪感…。
人間関係において、自分でも「気に病みすぎる」と感じている人に、わたしの思考ルートと気づきをシェアしますね。
わたしは「感情の不協和音が起こらない状態」を人生の目的にしていた
子どもの頃から、人間関係で1ミリでもうまくいかないことがあると、この世の終わりかのように絶望してきました。
頭では、すべての人とうまくやっていくことなんて不可能だと理解しているのにも関わらず、です。
クヨクヨしてしまう原因は、相手の心情を察しやすい自分の気質にあると思っていました。
要らないことまで気づいてしまうから疲れるんだ…と。
いつも人間関係の不協和音によって、簡単に心が折れていました。
大人になった今も、心は折れないまでもずっとチクチク気にしてしまう自分がいました。
でもそれは、「その場にいる人の感情が良い方向に揃っていること」を、わたしは人生において最大の目的にしていたのからなのかもしれない、と思ったんです。
正しい「自分の目的」を持つべきだと思った
自覚はしていなかったものの、「人とうまくやる(それも一点の曇りもなく)こと」を人生最大ミッションとしていたことに気づけました。
どう頑張っても達成し得ないゴールを見すえていたなんて、とんだドMですね。
自分を追い詰めるにもほどがあります。
目的があること自体は素晴らしいことですが、せっかくなら達成できる範囲で、自分のためになる目的を設定したいものです。。
人間関係で悩んできた場所には、そもそも「誰一人嫌な思いをせずみんなで仲良くするため」に行っていたわけではなく、
学校:そもそも勉強をする場所
部活:そもそも部活をする場所
会社:そもそも仕事をする場所
など、極論ですが「勉強」「部活」「仕事」ができていれば最低限OKだったわけです。
趣味の場やSNS上であっても同じ。
些細なことにグラついたときは【自分の本来の目的】を再確認すれば、クヨクヨし続ける時間だって最小限にとどめられると思うんです。
「円滑な人間関係」も大切にしていきたいですが、自分ではコントロールできないところは切り離すことも大切なんですよね。
希望を灯していれば、真っ暗になることはない
これまでの人生、わたしは何においても「全人類に嫌われないこと」に全神経を向けていました。
でもそんなの無理だし、そもそも自分にも好き嫌いはあります。
自分でコントロールできないことを目的にしても達成できるわけがないし、そこにフォーカスすれば自分のやりたいことができなくなるのは当然で。
だけど、自分の目的がはっきりしていれば、多少傷ついたって平気だし、落ち込むことがあっても前を向けるはず。
「そこにいる誰もが嫌な思いをしていない状態」はわたしにとって心地良いし、嬉しいし幸せを感じます。
でもそうなると自分の目的より、自分ではコントロールできない他人の感情ばかり気になってしまいますよね。
他人に言われた一言とか、気になる行動とか、自分には無害だけど感じてしまう不協和音とか。
気づいてしまうこともあるけれど、周りの状況がどうであれ、自分が持つべき目的は「自分ひとりでも叶えていけるもの」にしたい。
わたしは目的意識がフワフワしがちなので、「忘れても何度でも思い出してやる!」という所存で、目的を思い出す習慣をつけることから始めようと思います。