あなたは、メンターという言葉にどんな印象を抱きますか?
- お手本になる人
- アドバイスをくれる人
- 悩みを打ち明けられる人
一部企業でもメンター制度が取り入れられているようですし、いろんな「メンター」があると思います。
わたしは広い範囲で「メンター」を捉えていて、たくさんのメンターを持つことで人生が豊かになったと感じています。
目次
メンターの定義ってなに?
「メンター」とは端的に「指導者」「助言者」を意味しますが、ここで言う「メンター」は必ずしも【教えを乞うための先生】ではありません。
ここでは3つのメンターに分けて考えていきますね。
メンター1:指導者
メンターの由来とされているのが、いわゆる「指導者」ですね。
先生と生徒といった上下関係のもと「教える」「学ぶ」の関係が決まっている場合など、「恩師」「教育者」のことをメンターと呼びます。
お金を払って専門知識を教えてもらう、師匠と弟子のような関係のことですね。
メンター2:ロールモデル
「自分もこうなりたい」
「同じ経歴を持って成功している」
などの、ロールモデルとしてのメンターも存在します。
見本として参考にさせてもらうメンターは、直接的な関わりがなくとも、本や媒体を通して影響を受けることもありますよね。
一方的に知っているだけの相手や、歴史上の偉人などもメンターになりうるパターンですね。
メンター3:身近な関係
直接関わりのある関係性でも「メンター」は存在します。
指導者という位置づけでなくとも、家族、パートナー、友人、子どもなども、ときにメンターとなるかもしれません。
「教える」「教えられる」ということではなく、メンターと関わることで、自らの気づきや学びのキッカケがもらえたりします。
わたしは個人的に、魅力を感じる人はみんなメンターだと思ってます。
関わるだけで「元気になれる人」はメンター
どのメンターにも言えることは「心を元気にしてくれる」存在であること。
「好き」も「嫌い」も相手への興味関心があるという時点で紙一重だと言われますが、どうせ興味を持つなら「好き」と感じる人に関心を向けたいですよね。
では、どんな人が「メンター」になるのでしょうか。
「素敵」「会いたい」と思う人の特徴
どんな人に魅力を感じるか、どんな人に心地よさを感じるかは人によると思いますが、わたしがこれまでに出会ってきた魅力的な人には共通する部分があります。
- 柔軟
- 素直
- 前向き
- ちょっと不器用
- 他人を尊重できる
- 自分と向き合っている
個性や価値観はそれぞれ全く違うけど、総じて「人間らしい人」に魅力を感じるなと思います。
目につきやすい、わかりやすい魅力より(もちろんそれもあるけど)その人の内側に持っている「人間味」の魅力は圧倒的だと感じるんです。
「自分も頑張ろう」と思える人といた方がいい
相手がキラキラと輝いて見えるとき、「劣等感・嫌悪感」か「共感・高揚感」、どちらの感情が湧きますか?
「自分はこんなに頑張っている」
「あなたもこうした方がいい」
など、言動に自己顕示やマウンティングが滲んでいるなら、嫌悪感や劣等感を感じることもありますよね。
自己肯定感が低い状態では、マウントに支配されてしまうこともあります。
もちろん、自分の認知が歪んでいる場合は「劣等感」に転びやすい状態になることもあります。
本当に自分の人生に集中している人は、相手からの承認を求めるあまり力を顕示することはしないですよね。
相手から溢れているもので、自分もポジティブな気持ちになれる、そんな人がいるなら、是非大切にしてくださいね。
「メンター」の対極にいる「エナジーバンパイア」に注意
身近なメンターの対極に存在するのが、エナジーバンパイア。
人のチャレンジや自尊心を折ってきたり、一緒にいるとぐったり疲れてしまう相手とは距離を取った方がいいと思っています。
また、同時に自分も「誰か」のエナジーバンパイアになる可能性もあります。
「この人は自分を変えてくれるはずだ」
「この人はこう言ってくれるに違いない」
一見相手に信頼を寄せているように見えても、相手に期待してぶら下がるクレクレ星人になってしまっては関係を壊してしまいます。
エナジーバンパイアから離れることはもちろん、自分も誰かのエナジーバンパイアにならないように気をつけたいですね。

自分がメンターに提供できるものは何か
「メンター」たちに対して、「与えてもらってばかりで申し訳ないな」と思うことがありました。
そこで、身近なメンターにはもちろん、間接的に知っている「雲の上」のメンターにもできることを考えてみました。
ROM専もいいけれど、誰でもできるアクションもあると思うんです。
きっと届くし、喜んでもらえるんじゃないかと思います!
素直に学ぶ心を持つ
年齢や性別、立場に関係なく、誰からでも「学ぶ」姿勢は取れると思っています。
なにも主従関係のような一方的な「教える側」「学ぶ側」ではなく。
もちろん「学びたい」という気持ちを持てない相手もいるわけですが(毒)、それでも目の前の嫌な人や出来事から気づきを得ることは可能ですよね。
相手を認めることを「負け」だと思う人もいるかもしれないけど、わたしは子どもから大人、年配の方まで、すごいなと思うところは素直に認め、教えてもらったことは素直に実践してみることを大切にしたいと考えています。
相手の時間を割いてもらい、助言を受けたり相談に乗ってもらったなら尚更ですよね。
「反応」「言葉」を贈る
「自分には何もできないな」と思っても、誰にでもできる「アクション」はあります。
それは、「反応」。
相手の話を聞く姿勢や頷き、相槌なども立派な反応ですよね。
直接の関わりはなくとも、ネット上で発信している人であれば何かしらの反応や言葉を届けることも立派な「アクション」ですよね。
話すときも、何らかの情報発信するときも、「聞き手」「受け手」がいるからこそ成り立つと思うんです。
聞いてもらえてるんだなって思えると、それだけで安心感を提供できると思うし、わたしもブログやTwitterでメッセージを貰うたび、「届いてるんだ・・!」と感動します。
嫌われる勇気と自己開示
相手への憧れや尊敬の念が度を超すと、「嫌われたくない」あまり自分を抑えてしまい、言いたいことが言えずに苦しくなってしまうことがあります。
「こんなことを言ったら嫌われるんじゃないか」
「本当の自分を知られたら離れていくんじゃないか」
でも、自己開示をしなければ相手が自分を知ってくれることはありません。
都合よく自分を理解し、都合よく言葉をかけてくれる人なんていないんです。
相手がどう思うかは相手の自由であって、その自由を奪うことはできないですよね。
わたしはそれが「相手を信頼すること」だと思っています。
認めさせるための自己顕示ではなく、【自己開示】が関係を【築く】第一歩だと思うんです。
「メンター」「好きな人」がいっぱいいる人生は楽しい
わたしは中学時代、信じられる人が一人もいませんでした。
「友達」はいるはずなのに、「友達って何だろう」と思っていたし、いつも不安でした。
でも、そんな孤独な時代があったからこそ、安心して付き合える人たちや、「好き」「会いたい」と思う人たちと関われていることが、とても幸せなことだと感じています。
わたしにとって、良い刺激をくれる人たちはみんな「メンター」です。
好きな人をたくさん作って、人の好きな面をたくさん知ることで、人生はもっと楽しくなると思っています。
「好きな人なんていないよ!」って人は、ネットでも芸能人でも歴史上の人物でも、誰でもいいから「好きだな」と思える人の情報に触れることから初めてみましょ・・!