突然ですが、あなたは誰かに「謝ってほしい」と思うことはありますか?
わたしは、自他ともに認める「根に持つ人」です…。
そのため、大きな傷になったことや理不尽なことはもちろん、日常のほんの些細な出来事に対しても善悪をつけたがる非常にめんどくさい生き方をしてきました。
「自分を許して、他人を許そう」という言葉を見かけるたび、
と、頭を抱えていたのです。
そんな自分が心底嫌で、自分の心理を探ったり、本を読んだり、たくさん人の話を聞いたりして、わたしなりの「いつまでも根に持たないための考え方」にたどり着きました。
この記事は、
- いちいち根に持ちたくない
- 些細なことにこだわるのをやめたい
- ずっとモヤモヤしてしまう自分が嫌だ
こんな人に向けて書きました。
目次
「〜するべき」が強いと根に持ちやすい
根に持ちやすい人の特徴として、「こうあるべき」という正義感が強い面があると思います。
- 白黒はっきりさせたい
- 感情部分にフォーカスしがち
- イライラモヤモヤを引きずりやすい
- 「まいっか」より「なぜ?」と深く考えがち
感情を表現するわけでなくとも、心の中では「納得デキナイ…」とモヤついたまま時間を過ごしてしまうんですよね…ネットでひたすら検索したりとか…気付いたら夜やん…とか…!
よく考えてみれば、世の中には当然色んな人がいて、「謝れない人」にはその人の都合(育った環境、性格、心理、状況など)があって、自分が大事にしている価値観を万人が大事にしているとは限らないんですよね…。
また、正義感が強い人は、自分自身も潔く「謝ることができる人」だと思います。
自分が「悪いところは謝るべき」という価値観をもっているからこそ、それを周囲の人に無意識に求めてしまうんだと思うのです。
その部分は自分で大切にしつつ、「人には人の価値観や都合がある」ということも、心の片隅に置いておきたい価値観の一つだなと、今は思っています。
根に持ち続けないための思考パターン
「根に持つ」ってエネルギーがいりますよね、すごく疲れるんです…。
わかっちゃいるのに、やめられない。(かっぱえび煎…)
根に持つ性格はすべてが悪い方に働くわけではありませんし、同じ失敗をしにくいとか、防御できるとか、メリットもあります。
全てを変える必要はないと思うし、許せないことがあっても良いのだけど、嫌な感情を引きずったまま生きていくのは、やっぱり生きづらいですよね。
そこで、モヤモヤいつまでも考えてしまう思考に終止符を打つべく、いきついた思考パターンがあります。
「許せん…!」と思ってしまったとき、「ごめん」の一言や対応がもらえなかったとき、納得できなかったとき……心のひっかかりを取り除くために意識的に実践していることをご紹介します!
自分の感情は感じきる!許せなければそれでもいい
ひとつ言いたいことは、「無理に許そうとしなくていい」ということです。
とツッコミが入りそうですが、違うんです。
「許そう許そう」と頑張るあまり、その出来事をうけて感じた気持ちを閉じ込めても何も良いことはありません。…繰り返します、何も良いことはありません。
あなたは他人のために生きているわけではないし、あなたの感情はあなたのもの。
感情自体は否定せずに感じきってくださいね。
「なに、その言い方…!」
「完全に誤解なんですけど…!」
「いや、あなたにだけは言われたくない…」
無理矢理押し込めた自分の感情は、いつか津波のように押し寄せてすべて飲み込んでいきます。
人によっては、相手に合わせすぎて「自分迷子」になってしまうこともあるので、まず自分の気持ちをちゃんと感じることが大事だと思います。
ただ、それを相手にそのままぶつけることはよろしくないと思うので、あくまでの自分の中で。
信頼できる人に話してみるのもおすすめです。一緒に怒ってくれるや感情に寄り添ってくれる人なら最高です。紙に書きなぐるのもいいかも。
どこで嫌な気持ちになったか分析する
ひとまず感情を落ち着けたら、起こった出来事から、どの部分に自分が反応したのか考えてみます。
例えば、勝手な誤解で誰かのミスをなすりつけられたり、理不尽に怒りをぶつけられたとき。
「違うのに…!」と思ったとしても、その誤解が晴れなかったり、そのまま流れてしまうことは往々にしてありますよね。永遠に解けない誤解もあると思います。つらい。
- 一方的な態度
- 言い方や伝え方
- 事実と違うことを言われる
出来事や価値観によっていろいろだと思いますが、この例だと大体わたしはこうした部分にイラっとし、大抵強く記憶します…すなわち、根に持つのです…。
ここでは、自分側の都合だけで考えて、「こういう部分が許せないんだな」と客観的に自分を見て納得します。
起こった出来事から学べることを考えてみる
次に、そのイヤ〜な出来事から「学べる」ことを考えてみます。
とはいえ、理不尽な出来事に対して「勉強になったゾ☆」と、すぐに思えない場合がほとんどです。
ただ、そこから学べることは必ずあると思っています。
例えば、何かで誤解され、更に謎の注意を受けたとき。
「自分ではないのに決めつけられた」ことに憤りを覚えたとして、相手の言動が受け入れがたいものであっても、「注意喚起」の情報部分は学べることとして取り入れることにしています。
「そんなことがあったなら、自分も気を付けよう」と。
相手には冷静に「今回は自分ではないけど、自分もミスをすることもあるから、また事例があったときは教えてもらえると嬉しい」と伝えるのがベストかな、と思います。
そこで相手が謝ろうが謝らなかろうが逆上しようが、「自分ができることはしたし伝えた」だけで充分。
他人が思い通りになることなんてないので
- 自分の中でポジティブな着地点を見つけること
- 自分ができる対応のベストを尽くすこと
に意識を向けるようにしていたら、「謝らないなんてますます許せん…!」と思い続けることは少なくなったように思います。
グレーの世の中でうまく生きていく
子どもの頃「ちゃんと謝りなさい」と厳しく言われてきました。
- 喧嘩したら謝る
- 「ごめん」で両成敗
- 事実に対して謝ることが苦ではない
(逆に自分が悪いのに謝らないことが気持ち悪い)
わたしの中には、こうした「〜べき」という思い込みが強くありました。
これが悪いことだとは思わないけど、世の中は白黒ではなく、グレーな出来事の方が圧倒的に多いですよね。
いちいちジャッジメントをする必要なんて、本当はないはずなんです。
「謝ってほしい…それがないと許せない」という気持ちは、自分の価値観を「大切にしてほしい」という気持ちの現れでもあり、自分以外に押し付けている時点で、これもエゴなんですよね。
もちろん、いつもすぐにスマートな対応ができるわけではないし、「あの時あの人にはこう言われた…」などといつまでも警戒してしまうこともありますが、少しずつ「許す」「手放す」ことが出来るようになってきたと思います。
「まあいいか!」と思えない生真面目な性分な人は、体系立てて考えることで、少し「根」がゆるむこともあるんじゃないかな、と思います。