※この記事を読んでくれているあなたはアラサー(orアラフォー)女性だと思って書いています。
「頼れない」
「甘えられない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
そんな呪縛に縛られてはいませんか。
しっかり者、責任感が強い、そんな風に信頼してもらえる一方で、「自分ばっかり…」と自己犠牲、被害者意識を感じやすいのかなとも思います。
もちろんこのような記事を書いているのですから、わたし自身そうしたタイプの人間であります。はい。
目次
人に迷惑をかけるって、苦痛じゃないですか?
わたしは、人様に迷惑をかけることって本当にしたくなくて。
それは家族や親しい友人、パートナーにおいても同じです。
頼ることやちょっとしたお願いごとでさえも、「相手にとって迷惑になのでは」と考えてしまいがち。
相手の負担になるくらいなら、嫌な顔をされるくらいなら、自分でやった方が楽だな…なんて考えてしまうんですよね。
大切に想う相手だからこそ重荷になりたくないという気持ちもありますが。
万が一にでも誰かに迷惑をかけてしまったときは、その罪悪感から「死んでお詫びを…」と常備しているエアー刀で腹を切りたくなります。
でもそもそも、なんでこんなに迷惑をかけることに罪悪感を覚えるんだろう…と、わたしなりの仮説を立ててみました。
フォローされるより、フォローすることが多いみなさん
いわゆる「しっかりしなきゃ」の長女タイプの人って、プライベートや仕事においても人をフォローする側に回ることが割合として多いんじゃないかと思います。
もちろん全部とは言わないです、自分だって人様に迷惑をかけてしまうことはあるし、なんのミスもしない完璧人間なんていません。人間だもの。
だけど…それでも…!
フォローする側・気づいちゃう側であることの方が圧倒的に多いんじゃ!!…と心の中で「かえんほうしゃ」を心の中ではき散らかしているのが、今この記事を読んでくれているあなただと思うんです。(いや火炎放射をはき散らかしているのはわたし)
お察し上手なあなたは、甘えられなかった事情がある
この感情的な文章に共感してくれたあなたは、もしかすると子どもの頃に
・甘えることが許されなかった
・しっかりしなきゃって思ってた
・「ただの子ども」以外の役割を担っていた
とかではないでしょうか。
わたし自身、兄弟構成上は妹の立場になりますが、「あんたはお兄ちゃんよりしっかりしてるから」と、病弱だった兄に比べて気にかけてもらえなかったなと感じていました。
(母も、当時を振り返ってそう言っています)
なんとなく「こうした方がいいかな」「こうしたら喜ばれるかな」ってことがわかるから、相手の都合に合わせて動くと褒められたりするし、存在意義を感じるから…そうしちゃうんですよネ。ネ、ネ、ネ…。
誰にも迷惑をかけないなんて無理とはいうけれど
確かに、自分だっていろんな人に助けてもらって生きてるなって思います。
だけど、どうしても人より気づくことが早かったり多かったりするから、「なんでいつも自分だけ…」って思ってしまうんです。
自発的にそうなったのか、受け入れてもらう経験が少なかったのかという違いにかかわらず、「甘えられなかった」という事実が、甘えることはけしからん!という強烈なNGになって残っているのではないかなと。
みたいな思い、ありませんか?わたしはあります。それはそれはもう。ええ。(語彙力)
もっと大変な人がいることも頭ではわかっているけど、自分も甘えないないようにって一生懸命頑張って生きてきたんじゃい。
簡単に人に迷惑をかける選択なんて、できるわけないじゃろがい。ってね。
迷惑をかけられたときの「イラァ…」が教えてくれたこと
これは自覚していることなんですが、わたしは自分にも他人にも厳しい節があるなって思います。
特にその厳しさは、仕事の場面で大いに発揮されます。
例えば…
- 後出しで指示を何度も出されたとき
→いや、先に言ってくれ手間なんだが。 - ミスが多い人(主に先輩や上司)の尻拭いが多発したとき
→…え?…え?もはや混乱(やるけど) - 何度も同じことを聞いてきたり、平気で時間を奪ってくる人
→まずググれ、話はそれからだ。そしてメモしてくれ。
こんな些細な出来事に対して、「誰でもできることをしない甘えのある人」と判断してしまうんです。うん…なんていうか…これらって特別なスキルがなくてもできることだから…。
で、少し前に似たようなことがあってイラッとしている自分に気づいて、ふと思ったんです。
「迷惑かけちゃいけない」って思ってるのと同時に「迷惑かけられたくない」って死ぬほど思ってるな、って。
「迷惑かけてくんな」と思う自分にハッとした
「迷惑をかけたくない」「オラがしっかりせねば」という気持ちがあるのと同時に、「わたしに迷惑かけんじゃないよゴルァ!」という気持ちがあることに気づいてしまったのです。やだコワイ。
そのとき、「いいよいいよ、気にしないで」と言って欲しかった子ども時代のわたしが泣いている感覚を覚えました。
「甘えてるんじゃない」
「そのくらい自分でやりなさい」
そんな言葉にいつも小さく、いやグッサリと傷ついていたあの頃の自分。
自分が傷ついた言葉を、言う側になっていた自分に気がついたんです。結構ショックでした。
自分のミスを許せないってもしやしんどい?
何かトラブルが起こったとき、冷静に考えて自分か相手が100悪いってことはほぼ無いと思うんだけど、自分に厳しいタイプの人っていつまでも罪悪感を抱えてたりすると思うんです。
もちろん、ミスを繰り返さないその精神は素晴らしいと思うし、人から信頼されると思います。
だけど、自分のミスを許せないと、結局他人のミスも許せなくなっちゃう。
怒りの対象が他人に向いているように見えて、結局自分に向いてることになるんですよね。
そもそも人間は間違える生き物。機械じゃないんから。
だから、とにかく自分に優しくできるようにならなきゃなって思ったんです。
0か100か、白か黒か、頼るか頼らないか
以前の記事でも書きましたが、0か100かみたいな、白黒ハッキリつけたがる人は「自分に自信がない」傾向にあるみたいです。ギク…。

「頼ってよ」「甘えていいよ」と言われてもすんなり受け入れられないのは、一度頼ってしまうと歯止めがきかなくなって依存しちゃうことを考えると、頼らない方がいいな、信用しない方が傷つかないな…って気持ちになったりして。怖いんですよね。
もちろん、いきなり「自分はこの先どうしたらいいと思いますか…」なんていうヘビーな相談を持ち掛けるとかは重いと思うけど、よく考えてみると「頼る」ってもっとライトなものなのかなと思うんです。
「ちょっとそこのお醤油取って」とか「来るときアイス買ってきて~」くらいなら、案外快く引き受けてくれるんじゃないかなって。
全体重をかけて寄りかかるか、潔く寄りかからないか…の2択ではなくて、軽いお願いごとも、列記とした「人を頼る」ことだなって思います。
「お互い様」とフォローできる人間でいたい
わたしはよく「フェアじゃない…」と感じるときに不満を感じていました。
人間関係はギブ&テイク、おおよそ50:50でなければならない、と。
だから何かをして頂いたときは必ずお礼をしたり、助けてもらったときは「それ相応の何かをお返ししなくては…!」と申し訳なく思ったりしていました。
頼ることが悪いことだと思っていたからなんですよね。
でも人間、得意不得意は人によって違います。
「自分ばっかり」と思っていても、案外気づかないところで誰かが自分のサポートをしてくれていることもあるかもしれません。
周囲の人と信頼関係を築いていくためにも、自分ができることでもあえて人にお願いすることが大事なのかなって思います。
多少のアンバランスがあっても「お互い様」と心から思うことができれば、今より少しだけ、人に頼れるようになった証になるのかな…なんて思いました。
人は結局、一人では生きていけないよなあって思うと、迷惑をかけられることも、かけてしまうことも、自然なことなのかなあって思います。
…と、まあ色々書いたけど、わたしは個人的には長女タイプのしっかり者さん、大好きです。不器用だけど、こうやって深々考えられることって素敵じゃないですか…!