自己肯定力

「イラッと」「モヤッと」の感情を大事にしている理由

なの
なの
こんにちは、なの(@nano_kcgs)です

わたしは長らく自分自身の感情を否定して生きてきたのですが、今はポジティブな感情はもちろん、ネガティブな感情とされる「イラッ」「モヤッ」という気持ちも、ものすごく大事にするようになりました。

蓋をしがちだったイヤ〜な感情、大事にするようになった理由をシェアしたいと思います。

なの
なの
嫌な気持ちほど、自分の本当の気持ちを発掘できるチャンス
ティー
ティー
めちゃくちゃ根拠がある話だよ〜!

無理矢理ポジティブになろうとしてもただの苦行

「自分には価値がない」
「自分は許される存在ではない」
「感情をそのまま表現してはいけない」

ずっとこんな風に思っていたし、死ぬほどネガティブ思考でコンプレックスだったので、「ポジティブになろう!」と頑張っていた時期がありました。
湧いてくるネガティブ思考を否定し「ダメダメ!明るく笑顔で!!」「笑う門には福来るっていうしね!」と、めちゃくちゃ無理していたんですよね。

自己啓発本を読んでも、前向きになれるのはほんの一瞬。

自分を認めたかったはずなのに、ネガティブな感情がダメなことだと思っていたわたしは、ただ自分自身を否定していたんですよね。そりゃあ苦しいわ。どМなのかな?

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感情はコントロールできないし、感情には善悪はないわけなんだけど、「今」の自分を知ろうとせずに、世間一般で良しとされている人間になろうとしていたんですよね。

なの
なの
自分が嫌いな状態で自分を認められるわけがなかった

「どんな自分もOK」の本当の理由

気持ちと行動のギャップが苦しかったんですが、もがきながらも「ああこの人素敵だな〜〜」と漠然と感じる人の発信に触れたり、会いに行ってみるうち、みんな同じことを言っていました。

ロジカルな現実主義の人も、一見非科学的なことを言っているように思える人も、わたしが好きな人たちみんなが共通して言っていたことは「とにかく自分の感情に蓋をしない」ということ。

とはいえ、自分でも僻み妬み嫉みなどの醜い感情でしかないって自覚があるときもありますよね。
「うわあ自分最低だな」って思うこともあるし、「そんな自分もOK(はぁと)!」なんて、脳内お花畑かよって思ってしまってどうも受け入れがたくて。

でも、感情そのものではなく、一番大切なのは「なぜそういう感情になったのか」というところだと教えてもらいました。
イラッとした気持ちから「無自覚で得意なこと」も隠れていたりします。

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イラッとした気持ちやモヤッとした気持ち、そこから派生してどんなにひどいことを思っても、それ自体は問題ではないのです。
だから、どんな感情が湧いてもOKなんです。

根拠がわかったら腑に落ちて、「それならOKだな」って思えるようになったんですよね。

なの
なの
個人的に「根拠ない系のゆるふわ思考」が苦手なもんで・・
ティー
ティー
(理屈こねたがり人間・・)

ネガティブな感情を掘り下げるのは辛いけど

嫌な気持ちになった出来事って、なるべくならさっさと忘れてしまいたいものですよね。

「よしっ!切り替え切り替えッ!」「ポジティブな面に着目しよう!」と、変換することは簡単です。
まあ、わたしのように感情を引きずりやすい人は簡単ではないかもしれないけど、でもその場をやりすごし、別の方法でイライラを発散させることに走りがちです。

それでもいいんだけど、ネガティブな感情の裏には必ず自分の固定観念(思い込み)が隠れていて、それは結果的に自分を縛っていたりメンタルブロックをかける根源だったりするのです・・。

「なんでそう思ったのか?」「なんで?」「なんで?」と掘り下げることで、イラッとした出来事とは全く関係ない、自分の中に刻まれた固定観念があるのです。

その中で、自分でもどん引きするようなキッタナイ感情が出てくることもあって、まあまあしんどいんですけど、掘っていくうちに必ず根底にたどり着きます。

自分の固定観念は、自分の感情が動いたときにしか気づけなくて、だからこそわたしは自分の答えは、自分にしかわからないし知り得ないと思うのです。

なの
なの
ネガティブな感情は、自分のことを知れる鍵だと思う
ティー
ティー
自分のことは自分にしか分からないよ〜

認められなくとも「知る」だけでいい

「げげ!こんな固定観念あったのか」
「うわあ・・まじで引くんですけど」
と思うものや、ものすごい偏見が隠れていた場合、認めようとしても認められないと思います。

わたしは認められない気持ちも大切にすればいいと思っていて、そんな時は、認められない自分にマルをすることにしています。

そりゃあポンポン認められたら楽かもしれないけど、「認めよう」と思えば思うほど、「認められない自分を許せない」となってしまうと思っていて。
というか経験上そうだったので。そうなると結局苦しいだけなんですよね・・。

「自分を認める」って「わたしはこうだもん!」って開き直ることともちょっと違うと思っていて、「そうなんだ」「へえ」って知ることから始まると思うんです。

「へえ、そうなんだ」
「こう思ってたんだ」
「そんなことがあったんだ」

と、一歩引いてただ知るだけでいいと思っています。

なの
なの
許せてもマル、許せないなら許せない自分にマルを
ティー
ティー
マルを増やしてこ

全部認めようとしても、いや無理よね(笑)

わたしは、すべてを許せるマリア様になりたいわけではなく、悟りを開きたいわけでもないので、これからも存分にイラッとしたりモヤッとしたり、葛藤を抱え失敗しながら生きていくと思います。

自分自身も日々変わっていくと思うので、自己理解を続けながら、「今」の自分をより良い方向に更新していけたらいいなあ、と、ただそれだけを考えています。

どうしても認められないこともあるし、受け容れ難いこともあるけど、まあ綺麗には生きられないですからネ。。

「自己肯定感を上げよう!」「ポジティブに気持ちを変換しよう!」なんて肩ひじ張らずに、ナチュラルに湧いてくるネガティブな感情から、自己理解を始めるのも悪くないと思っています。

ネガティブが通常営業のわたしは、そのやり方の方が向いてるので^^
【自己理解】に辿り着ければいいだけなので、自分に合った方法を見つけたらそれでいいですよね。

だから、自分がどう感じたか、なぜそう感じたかを大切にしてみて欲しいなって思います。

なの
なの
今がネガティブなら、ネガティブに沿った自己理解の方法もあるよっ
ティー
ティー
今の自分を知って、そこから自分が行きたい方向に向かえばいいよね!

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