HSCは、HSPではない親御さんにとって「育てにくい子」と思われることがあるようです。
わたし自身、親に「あんたは育てにくかった」と言われた経験があります。
「育てにくい…」と感じていた親側の目線から、HSCだったわたしがどう見えていたのか、親と話す中でじわじわ明らかになってきました。
そこで、HSPではないわたしの親(家族全体)からみた、HSCだったわたしに持っていた印象を挙げてみました。
誤解されることも多いHSC。
でも、表面だけを見ていたら確かに「育てにくい」と思われてしまうのかもしれませんね。
目次
非HSP親×HSC子の一例
どちらが良い悪いの話ではなくて、根本から違うものを持っていただけなんですが、非HSP親×HSC子の組み合わせは、長い期間を経て関係がこじれてしまうことも多いのかもしれないと思います。
わたしは諦めの悪い性分でして、かなり長い間、少しでも理解してもらいたい…!と親と向き合い、伝え続けてきました。
しかし、さすがのわたしも、向き合えば向き合うほど、圧倒的感覚の違いと時間のかかり具合に、今では諦めの境地にもいます。
(理解してもらえない親を受け入れ始めた…と言った方が正しいのかもしれません。)
とはいえ、今ではHSPの気質についても少しは理解を示してくれ、話も聞いてくれるようになりました。
その中で、親の持つ感覚から、親側から見たわたしがどう映っていたのかが明らかになってきました。
HSCのわたしがどう見えていたのか、【非HSP親×HSC子】の認識の違いの一例として記事にしたいと思います。
誰もが自分の価値観の中で、自分こそが「普通」だと思って生きてしまっているけど、血のつながっている親子でさえ、全く別の人間なんですよね。
理解できないこともあるけれど、今では「そうなんだな」と思える心の距離を取ることが大切だと考えています。
親が抱いていたHSCわたしの印象
わたしの家族は、HSPではありません。
父と母は正反対な部分もありますが、ものの【感じ方】【捉え方】は似ているなと思います。
細々と気にして、「なんで?」と立ち止まることが多かったわたしは、そうではない家族の中で浮いていました。
(まあこれも、わたしだけが感じていたことのようでしたが…。)
でも、わたしが家族に対して違和感を感じていたように、親からしても、わたしに「なんで?」と思うことが多かったようです。
「いちいち細かい子だな…」
比較的おおざっぱに捉える親からすると、わたしは細かいことを気にするように見えていたようです。
「○○は△△だから□□である」と、根拠や物事の流れや本質にこだわるところが、めんどくさいと思われていたようですね。
両親はそこまで深く考えないタイプだったので「ふうん」で済む話さえ、納得できるまで突き詰めて考えるわたしが理解不能だったとか。
そうしたところが「細かい」「神経質」などという評価になっていったんだと思います。
「なんでそこまで次々考えるの?」
そもそもがあまり深く考えない、もしくは嫌なことは考えたくない、といった価値観を持っていた親。
一方、わたしは同じ失敗や間違いをしないために、問題点を改善することに重きを置いていて、「嫌なことばかり考える」と思われていました。
「そもそもなんでこうなったのか」
「繰り返さないためにどうしたらいいのか」
というわたしの思考そのものが、理解できなかったんだろうなと思います。
答えがでるまで(出ないことすら)、ひたすら考えてしまっていたしね。
また、わたしとしては深く考えずに発言するという思考が存在しなかったので、言動にはそれぞれに理由があるものだと考えていて、深く考えずに言われた言葉や受けた行動を、すべて「悪意」に紐づけて納得していたように思います。
親からしてみたら、わたしは物事を深く、複雑に考えているように見えていたんでしょうね。
「すぐ泣く、すぐ怒るしわがままだなあ…」
わたしはよく泣く子どもでした。
泣きたくて泣いているわけではなかったけど、どうしようもなく感情があふれてきて、涙が止まらなくなってしまうんですよね…。
また、自分の気持ちや思考の状況をうまく説明できなかった子どもの頃のわたしは、「悲しい」という感情を、泣くか怒るかでしかアウトプットできませんでした。
先述の通り、親は「なんで?」「理由は?」と考えたり、深くあれこれ考えることが苦手。
親からすると「すぐ泣く」「すぐ怒る」といった表面的なわたしの行動は、単なるわがままだと思われていたようです。
伝え続けて変わったこと
大好きで、愛されたくて、でも一緒にいるとしんどい。
わたしにとって、家族はずっとそんな存在でした。
今思えばですが、わたしは親からの「理解」という「愛情」に飢え、固執していました
それがエネルギーになって、どんなにボロボロの状態になっても諦めることができなかったんだと思います。
「現状は理解してもらえているのか?」と聞かれると、正直イエスとは言えません。
お互いさまだと思いますが、こちらとしてはやっぱり「なんで…?」と悲しい気持ちになってしまうことも、今もたくさんあります。
「理解してもらう」という目標を達成するために、何度もPDCAを回し、そのために必要だと感じた書籍も数えきれないほど読みました。執念ですね。笑
その中で、親とはいえ相手に理解を求めるだけでなく、こちらも相手の立場や価値観を尊重すること、譲歩することを学んだようにも思います。
もちろん変わったこともたくさんあって、今はわたしの性質や価値観に対して耳を傾けてくれるようにもなり、感覚としてわからないなりに理解しようしてくれています。
だから、わたしは伝え続けて良かったな、と思っています。
まるで違う性質を持った親にとっては「育てにくい子」だったとも思う
あまり深く考えない親と、深く考える子ども。
親の感性や価値観、育った環境なども踏まえると、そりゃあ育てにくかったろうな、と思います。
お互いにもう少し、相手のことを想像できればよかった。
それだけなんだけど…簡単なことではないんですよね、きっと。
「ろくに向き合いもせず決めつけるなんて!」と思っていたけど、親は親の、家族には家族のそれぞれの事情や都合があって、すべて理解するのは不可能なんだな、と今は思っています。
あくまでもわたしのケースですが、親御さん、HSC・HSPの人の参考になったら嬉しいです。
「育てにくかった」と言われて、親にとって都合の良い子どもではなかったことに罪悪感を覚えていたけど、本当はその必要もなくて。
親だって違う人間なんだもの、理解できなくて(されなくて)当たり前だから、HSCはHSCのままでいいし、自尊心は大切にしようね…!
