HSP記

「しあわせはいつも自分のこころがきめる」

なの
なの
こんにちは、なのです

「しあわせはいつも自分のこころがきめる」
有名なこの言葉、「人間だもの」でおなじみの相田みつをさんの言葉です。

わたしはこの言葉が大好きで、ついないものねだりをしてしまうときに思い出して、ザワつきを沈めるようにしています。

焦ったり、ギスギスしたり、心が黒くなることもあるけれど、「不幸になりたい」と自ら願う人はいないはず。

なの
なの
幸せになるために生まれてきたんだから、自分のしあわせには自分で責任を持ちたいなって思えるようになった、そんな言葉です

しあわせは見えないし、重さも量れない

「しあわせ」って何だと思いますか?

わたしは、幸せとは「〇〇だったら幸せ」という、条件があってこそ感じるものだと思っていました。

・コンプレックスが無かったら幸せだった
・都会に生まれていたら選択肢が多く幸せだった
・家族に気持ちに寄り添ってもらえていたら幸せだった

現状の「ない」を指標に、「もっともっと」とないものねだりをすることが大得意でした。
人と比べて「良かった」「ダメだ」と思ったり、他人の評価を指標にして認められるために振舞ったり。

でも、認められるための幸せを装備しても、心は全然幸せじゃなかったんですよね。

しあわせは現像として見えるものはなくて、大きさも重さも量れません。
だから、外側から固めて手に入るものではなかったんです。

このことに気づくキッカケをくれたのが「しあわせは自分のこころがきめる」という言葉でした。

なの
なの
相田みつをさんの言葉、あったかくて好き

自分の心は自分で決めてこう

わたしは、心の反応はコントロールできないけど、心の状態は自分で決められると思っていて。

例えば誰かにマウントされたとき。

「ああ・・この人より劣ってるってことなのか・・いや・・でもこんな風になりたくないけどな・・いや、でも【この人からしたら】わたしの価値は低いってことなんだな・・・」と、【この人】の気持ちになってしまって「自分には価値がない」と感じてしまっていたんです。

わたしはわたしで、【この人】ではないのに。

境界線が薄いというわたしの感覚の一例を言語化するとこのような感じで、相手の気持ちになって、それを自分のものとして受け止めてしまうんです。

その人になる、という表現は過剰かもしれないけど、相手の考えにも理由があると思うんですよね。この人はなんでそう思うのかな、どう感じているのかなって。

でも、こうした時「悲しい」という心の反応は変えられなくても、「この人とわたしは違う」という認識を持つことは出来るし、相手の話を聞いても、その言葉を受け止めるかどうかは自分で選んでいいんですよね。

そもそも、自尊心を削いでくる人とは関わらない方が一番なんですけど。

関わると疲れてしまう人は、自分にとってのエナジーバンパイアである可能性が高いので、自分の心を守るためにも距離を置きたいですね。

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自分のこころは自分で決めていいんだよね

あなたの「しあわせ」はなんですか?

昔から「幸せとは?」と自問自答し続けてきたけど、幸せとは○○だ!という答えは見つかっていません。
自分の価値観や立場によって、何を幸せと感じるかは変わることもあるし、変わらないこともあります。

一つ言えるのは、幸せは事象ではなくて、どんな状況であれ心が感じるかどうか、感じられるかどうかなんだなと思います。

上を見ればキリがないし、下を見て優越感を感じるのも違うし。
結局は「自分のこころがきめる」しかないんだな、と。

もちろん周りの人の存在が、結果的に幸せを与えてくれることもたくさんあるんだけど、自分を幸せにできるのは自分自身なんだなって今は思うようになりました。

自分が幸せじゃないと、誰かにとってのエナジーバンパイアになる可能性もあるだろうし、自分の周りの人を幸せにするためにも、自分のしあわせは自分のこころで決めていきたいなとわたしは思います。

なの
なの
あなたにとっての「しあわせ」はなんですか?

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