不登校だった人の話

不登校は自分にとって一つの選択だったなと思う、元不登校児です

なの
なの
こんばんは、なのです

数か月前ですが、SNSで#不登校は不幸じゃないというハッシュタグがトレンドになっていました。
小幡和輝さん(@nagomiobata)という起業家の方が発起人となり行ったムーブメントです。

・落合陽一さん
・西野亮廣さん
・箕輪厚介さん
・茂木健一郎さん

などなど、各界の著名人やインフルエンサーなどがTwitterで動画を投稿していましたよね。

ティー
ティー
興味のある人は是非検索してみて欲しい・・!

わたし自身も、中学時代に不登校だった経験があります。

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当時感じていた気持ちや悩み、価値観や時代の変化とともに今の「不登校」についてわたしが思うことを、いち経験者として残したいなと思います。

結論から言うと、不登校はただ一つの選択でしかなかったな、と。

・学校が苦痛で行きたくない
(または行かない選択をしている)
・不登校だけどこのままで良いのか不安

・不登校なこと(だった)にコンプレックスがある

こんな苦しい思いをしている人や、子どもが不登校で不安・・という親御さんにも、ひとつの価値観として読んで貰えたら嬉しいです。

不登校だから不安、は「みんなと同じじゃないこと」への不安

わたしは当時を振り返ったときに、不登校=ネガティブなものとして感じていました。

・劣等感
・うしろめたい
・義務教育に従えていない現実
・親や先生、同級生からの視線
・みんなが出来ることが出来ない

挙げだしたらキリがないですが、これらはすべて、「みんなと同じではないこと」に対しての不安から来ていたように思います。

とはいえ、マイノリティーであることは、否定的な言葉を向けられたり恥ずかしいことと表現されてしまうこともありますよね。

親や他の大人の価値観が全てといった狭い世界で生きている子ども時代なら、影響されて当たり前なんです。

でも、全部が全部、みんなと同じである必要ってあるんでしょうか・・?

なの
なの
すべて平均値である必要はないと思うんだよな・・

なぜ行きたくないのか?そして、行く必要はあるのか?

不登校になる理由は本当に人それぞれだと思います。

・いじめ
・勉強が嫌い
・環境がしんどい
・先生と合わない

・人間関係が辛い  など

例えばいじめ。
いじめやスクールカーストの人間関係が原因であれば、残念ながらその「合わない場」の改善は見込めない気がします。

大人になって思うけど、会社なども含め、一度築かれたコミュニティ上の常識や風潮、ポジショニングは一度全部ぶち壊されないと新たな世界は生まれないし、受け入れられないなと感じます。

指導で一時的によくなることもあるし、いじめる側の問題まで解決することで当人が変わることもあります。
でも、そもそもその問題の本質に向き合う大人は少ないし、多くの人はみんな逃げるんです。

そして、子どもの世界で起こる人間関係のいざこざは、子ども自身にしかわからないんですよね。時代的にSNSなどのクローズドな状態で起こっている場合も多いので、大人にも見えづらい。

そこには子ども側の価値観による子どもだけの世界があって、わたしも含む、今や大人になった人が容易に理解できることではないと思うんです。

もし、「学校に行きたくない」という意志があるなら、なぜ自分は学校に行きたくないのか?という気持ちに向き合ってみてほしいんです。

ダメだとか思わなくて良いんです。
自分以外の声は一旦無視して、あなたがどうして学校に行きたくないか、そこが一番重要なんです。

行きたいなら、どうしたらいいか?
行きたくないなら、どうしていくべきか?

なの
なの
対策を考えるのは、そこからだと思う

古い価値観を信じすぎなくていいんだよ

「学校は行くもの」と言える人は「辛くても行くもの」という確固たる固定観念があり、それが正しい世界で生きてきたんですよね。
そして、そういう時代を生きてきたから言えることなんです。

でも、時代とともに「当たり前」という価値観は変わっているんです。

例えば、結婚。
一昔前は、女性は結婚したら退職して専業主婦になり子どもを産んで家庭を守る、みたいな価値観が当たり前にありました。

でも、今は結婚しても働き続ける女性は多いですよね。
女性の社会進出や終身雇用が当たり前では無くなった・・など、色んな背景や事情はあるとは思いますが、一昔前に比べると世の中の「当たり前」は変わっているのがわかります。

こうしたライフイベントだけでなく、禁煙、飲酒運転、セクハラなど、今では「ありえない」と批判されることさえ、世の中の「当たり前」だった時代もありました。

だからと言って、不登校も同じです、なんて言いたいわけではありません。
特に小・中学校は国で定められている義務教育です。学校でしか学べないこともあると思うのも事実です。

ただ、わたしも含めて、年齢を重ねた大人になった人の価値観って、今の子どもの見ている世界からしたら古いこともあると思うんです。

もちろん、経験したからこそ伝えられることもありますし、大人として「ダメだよ」「こうした方がいいよ」と言う必要があることだってあると思います。

だけど、子どもとはいえ未熟かもしれないけど、意思を持った一人の人間です。

周りの大人は、頭ごなしに子どもを思い通りにさせようとするのではなく、一人の人間としてまず向き合ってほしいなと、元不登校児としては思うのです。

これだけ多様性が叫ばれるようになった現代。
不登校だって、部活を選ぶ、委員会を選ぶことと同じようにただの一つの選択でしかないとわたしは思います。

こんなことを言うと、親御さん側に「悪影響だ」と思われてしまうかもしれませんが、あなたの周りにいる大人の価値観だけが、世の中のすべてではないんです。

なの
なの
色んな価値観や生き方を知っているだけでも気持ちは楽になると思う

不登校は失敗じゃないし、あなたの経験になるよ

わたしは親世代や先生が言う「学校は行くもの」という価値観が基準となって、「行けない自分はダメだ」と、ただ劣等感だけが積み重ねられ、しばらくコンプレックスとして苦しめられました。

たいして仲良くもない同級生にも色々言われていたみたいだし、保健室登校のときは「うわあ・・」という当時はもの珍しい、引いた目で多くの人に見られていたことも感じていました。

それだけ「学校は行くもの」という価値観があったからだし「みんなと同じである」ことへの安心、そうでない者を排除し、共通の敵を作りたがる人間の心理がそこにあったな、と。

今となっては冷静に分析が出来ますが、渦中にいるときはとてもじゃないけど冷静になんてなれないですよね。

わたし自身、不登校だったことを「失敗」と思っていたこともありますが、今では自分にとって大切な経験だったと心から思っています。

不登校だったからこそ手にした時間や経験もあれば、学校に行っていたからこそ手にした時間や経験もあるかと思います。

なんかね、どっちがいいとかじゃないと思ってます。
それぞれの選択でしかない。

不登校は一般的に少数派ってだけで、特別なことでもないんじゃないかな、と大人になってから改めて思います。

わたしにとって当時の経験はとてもつらいものではありましたが、だからこそ、今こうやって語れることもあるんですよね。

「不登校は一つの選択だった」と本当に思っているし、大切なのは、そこから何を学べるかや、その先で自分の幸せをつかむことだと思うんです。

「今日の朝ごはんはパンでした」みたいな、劣等感なんて感じる余地のないくらい、一つの選択としてフラットな捉え方をされる、優しい世の中になるといいなと思います。

学歴社会の日本ではなかなか難しい問題かもしれませんが、不登校だったからって不幸ではないよな、と元不登校児が大人になった今、思っています。

なの
なの
学校に左右されることもあるけど、学校だけが人生のすべてではないから、どうか安心して生きてほしい

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