「他人に振り回されてしまう」
「周りに合わせてばかりで本音が言えない」
「そもそも自分の気持ちがわからない……」
漠然とした生きづらさは、他人との境界線が薄いことが原因の1つかもしれません。
この「境界線」は目に見えるものではなく、「自分と他人は違う」という意識のこと。
近くにいる人がイライラしているとそれだけで消耗してしまったり、誰かが泣いていたら一緒に悲しくなったり、人の笑顔を見ると自分も嬉しくなったりすることはありませんか?
「え?そんなの当たり前じゃない?」と思うなら、あなたは確実に共感力が高く、そのぶん他人との境界線も薄いのではないでしょうか。
境界線が薄いと、良くも悪くも周囲の感情や思いに影響を受けやすくなります。そうなると、冒頭のような生きづらさを感じやすくもなるんです。
ですが、そんな境界線が薄いあなたに朗報です。その境界線、育てることができます!
そこで今回は、境界線が薄い理由と、わたしが境界線を育てるために行った方法についてご紹介します。
目次
境界線が薄いかも?自分の本音がわからない
「生きづらい」と感じる場合、自分の「本音」と、周りに合わせている「現実」に大きくズレがあるから「生きづらい」「苦しい」んじゃないかなと思います。
そもそも、他人と自分の間に「境界線」があるなんて、意識すらしていない人がほとんどではないでしょうか・・。
そして、なぜ「自分の本音がわからない」「自分の感情に蓋をする」ことになってしまったのか。
わたしは、「境界線が薄い」理由には次の3つのことが考えられると思います。
共感力が高い
相手の気持ちや状況に対しての「共感力」が高いと、無意識に相手の気持ちを察知して自分のことのように感じることができます。
相手の気持ちに寄り添うことができるのは、HSPの強みでもありますよね!
ただ、常に「相手ありき」で物事を判断したり、自分の素直な感情を否定する癖がついてしまうと、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうことがあります。
まわりとの調和も大切なことだけど、相手のことを慮ることと、自分を抑えることは、必ずしもイコールではないと思うんです。
共感力が高ければ高いほど、相手と自分との境界線は薄くなりやいですよね。
エンパス体質が強い
HSPの概念と似ている部分の多い「エンパス」という体質があります。
HSPは相手に「共感」する力が強く、エンパスは相手の感情が「入り込んでくる」という感覚なのかな、とわたしは理解しています。
エンパスが強い、という人の話を聞く限り、目をつぶっていても誰かが近くにいるだけで、その人のあらゆる「感覚」が伝わってくるようなもので、防ぎようがないこともあるんだと知りました。
わたし自身はHSPの度合いに比べると、エンパスの度合いはそこまで高くないと認識していて、「わかる」こともあれば「わからない」こともあります。
エンパスもHSP同様、共感力が高いため、境界線は薄くなりがちです。
「人の目を気にしないと安全に生きられなかった」ケース
「自分の気持ちがわからない」要因の1つに、育った過程で「人の目を気にしないと安全に生きてこられなかった」経験が背景にあることも多いと思います。
- 親の顔色をうかがってきた
- 仲間外れにされないようにしてきた
- 過度な期待、あるいは無関心に不安を覚えた
何らかのキッカケや事情から感じた恐怖を回避するために「スキル」として敏感さを身に付けた人たちも少なくないと感じます。
「後天的なHSP」と、先天的な気質であるHSPの概念への誤解を生む表現が生まれているのも、「元々は敏感ではなかったけれど、大人になるにつれて敏感になった」人たちが、とても多いという証だと思うのです。
もちろん、HSP(HSC)がこのような経験をすると、輪をかけてセンシティブな気質に磨きがかかることもありますよね。
さまざまな要因が複雑に絡み合って、性格、感じ方が出来上がっていくんだと思います。
境界線を強くするためにできる3つのこと
境界線が薄い人は、他者との関係で不利になるのでしょうか。
答えは・・・「いいえ」です。
わたしは、境界線を強くすることはできると思っています。
今日明日で簡単に育つものではないけれど、時間をかけて、少しずつ強くすることは可能です。
- 自分自身を知り
- 他人と自分は別だと自覚
- 必要に応じて意思表示
わたしはこの繰り返しで、境界線を引くことが出来るようになりました。
①自分自身を知る
HSPでもそうでなくても、「自分を知る」ことがあらゆることのスタートだと感じています。
自分の気持ちがわからないなら尚更。
まずは自分のことを知っていきましょ。
- 自分はどんな人間なのか
- 何に怒りを感じ、何に幸せを感じるのか
- 本当はあの時、どう「感じて」いたのか
- 目の前の出来事にどう「感じて」いるのか
感情に蓋をするようになったのは、そうせざるを得ない理由があったからだと思うんですよね。
思い出したくない過去や見たくない現実もあるかもしれません。
無理に記憶からひっぱり出す必要はないけど、今、自分が思うことを「世間体」「周囲の目」「モラル」すべて無視して、自分の感情を感じてみて欲しいんです。
否定も肯定もいらなくて「へえ、そうだったんだ」とサラリと知るくらいの温度感で。
自己理解することで、自分の本音に気づきやすくなると思いますよ。

②自分と相手は「別」だと認識する
境界線が薄いと「相手の問題」をすべて自分も背負ってしまうことが多いように思います。
「怒らせたかもしれない」「嫌な思いをさせたかもしれない」こうした罪悪感、実は、本来感じる必要がないものであることがほとんど。
なぜなら、相手の「不機嫌」は相手の問題で、他人がどう感じてどう動くかは「相手の問題」だからです。
もちろん、それだけで割り切れるものではないのは承知です。わたしもうまく割り切れず、よくクヨクヨしています(笑)。
ただ、どんなに親しい間柄であっても、自分と相手は別の人間であり、寄り添うことはできても相手の人生を生きることはできない、ということを知っておくことが大切だと思っています。
自分にも価値観があるように、相手にも相手だけの価値観があります。
わたしは、良くも悪くも「相手に介入しすぎない」ことを心がけるようになりました。
③適切に意思表示する
心地よい関係には「距離感」と「尊重」があると感じています。
尊重とは、相手の要望をすべて飲むことではなく、双方が「伝えあう」ことができる関係だと思います。
「言えない」という心の奥には「こう言ったら相手を傷つける」「こう言ったら嫌われる」という恐れがあるんじゃないかなと思うんです。
確かに、自分の言葉に対して、相手がどう感じるのかはわかりません。
でも、「押し付けるために発した言葉」と「こちらの気持ちを伝える言葉」は、違うと思うんです。
「あなたは間違ってる!」と言われるのと、「あなたはそうなんだね、わたしはこう思うな」と言うのでは、伝わり方が違うと思いませんか・・?
相手を尊重する心があれば、自分の気持ちや意思を伝えたところで「嫌われる」なんてことは無いと思います。
わたしは、円滑に付き合っていきたい大切な相手ほど、言いづらいことも必要があれば伝えるようにしています。
「誘いを断りたい」
「やめてほしい対応がある」
「貸したものを返してくれない」
こうしたモヤモヤは、二度三度と受け入れているうちに、相手も「許してくれるんだな」と認識するようになります。
「伝える」アクションを取ることで、相手にも「自分」というものを知ってもらえるし、心地よい距離感で境界線を保てると思うんです。
境界線は育てることができる
それが気質由来であれ、成長由来であれ、「人の気持ちに敏感」という性質を持つ人を、わたしは素敵だと思います。
「境界線が薄い」という状態は、人の気持ちを大切にするが故に、他人の問題を背負おうとしてしまった、そんな優しさが始まりだったんだと思うんです。
もしかしたら、人と関わることが怖くなってしまっている人もいるかもしれません。
でも、大丈夫です。
時間はかかるかもしれないけど、他人との境界線は育てることができます。
- 自分のことを知って
- 他人と自分は「別」と認識して
- 自分の気持ちを「適切に伝える」勇気を持つ。
わたしは人と関わることが好きです。
境界線が薄い、打たれ弱い自分だからこそ、他人との境界線を引いていきたいなと思っています。
これからも人とたくさん関わって生きる人生を選びたいから、境界線をもっと育てていきたいなと思います。